最高裁判所第一小法廷 平成8年(行ツ)27号 判決 1997年1月23日
東京都多摩市永山二-三-三-三〇一
上告人
村山武俊
東京都多摩市貝取一七二四番地
被上告人
多摩市
右代表者市長
臼井千秋
右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行コ)第六三号著作権確認等請求事件について、同裁判所が平成七年一一月八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 高橋久子 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄)
(平成八年(行ツ)第二七号 上告人 村山武俊)
上告人の上告理由
第一、原判決の判断の不当性
一、原判決は上告人の複製申込が請求の範囲を特定していないものと解し、この判断を前提として控訴を棄却している。しかし甲第一号証の一によって明らかなように、上告人は本件著作物の一一二頁から一一八頁までの計七頁の複製を請求しているのであって、その範囲ははっきり特定されている。
本件で提訴以来争われているのは複製請求範囲の特定性ではなく著作物の単位性または部分性である。そしてこのことには当事者間に争いはない。したがって原判決は当事者の主張の趣旨を完全に取り違え、この誤解を前提として論理を組み立てているのであるから、その全体は無意味且つ無価値である。
それ故に係る出たら目な判断によって控訴を棄却した原判決には完全な理由の齟齬がある。
二、原判決は、一三頁六行目ないし一四頁九行目において、甲第二号証、乙第一、第五及び第七号証によって、被上告人が著作物の全部について複製を許可できない場合には一部についてできる旨の表示をしている事実を認定し、且つ甲第二号証によって、多摩市立図書館長(以下館長と言う)が複製の全部を拒否していながらその一部すら許可していないことは明らかであるのに、何故に右表示に則った措置が取られないのかについて何も判断していない。
それ故に原判決の当該部分には完全な理由不備があると言うべきである。
三、原判決は、一四頁一〇行目ないし一五頁七行目において、館長には著作物を複製する際に、付款を付する義務はないと言う。確かに行政行為が完全に自由裁量によってなされるものであるならば、右のように言えるかもしれない。しかし公共図書館は図書館法第三条によって図書館奉仕を行い、利用者に蔵書を利用させる義務があるから、館長に自由裁量権はない。したがって原判決の右判断は図書館法第三条の存在を看過した不当なものと言わざるを得ない。
それ故に原判決には理由不備または判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
四、原判決のどこを見ても、上告人が原審で新たに追加した妨害排除及び複製受忍請求について何も判断を加えていない。特に後者の受忍請求はこれから上告人が行おうとしている行為の正当性の有無を問うているのであるから、一九九三年八月の当初複製請求の当否とは何の関係もない。
しかしながら原判決は右当初請求の特定性のことを論難しているだけであるから、複製受忍請求の当否を決定する認識及び証拠原因を有していないことは明白である。
それ故に原判決には追加請求について完全な理由不備がある。
第二、第一審及び原審の判断の不当性
原審は右の判断を加えた他には、第一審の判決を全面的に引き継いでいる。第一審判決に対する上告人の控訴はすべて上告理由及び再審事由によるものであるから、本上告にそのまま援用できる。よって左に控訴の理由を引用する。
一、法定複製権の有無についての判断
1、原判決及び第一審判決は著作権法第三一条第一号の規定は著作権者の専有する複製権の及ばない例外として、一定の要件のもとに他人が複製できるとしたものであり、図書館やその利用者に複製権を与えたものではないとしている。
しかし権利とは、一方が他方に対し一定の作為または不作為を求めることが規範によって正当視されるとき、そのことによって一方が得る利益とされている。この定義から考えると、図書館またはその利用者が著作権者に対し自己の複製行為を受忍させる権能を付与した右著作権法の規定が一定の権利を設定したものであることは否定できない。原判決及び第一審判決はこの権利の定義論について何も言及しておらず、法の正確な意味を把握するために必要不可欠な認識作業を欠落させている。これは重要事項に関する判断の遺脱である。
2、上告人が第一審で主張したように、図書館における複製には社会的有用性があり、法によって保護されるに値する利益が存在する。{第一審原告準備書面(二)第二七一六頁}そのため図書館及びその利用者が複製できる権能には権利性があるのは当然のことである。しかし原判決及び第一審判決は上告人の右主張に何ら答えていない。これは重要事項に関する判断の遺脱である。
二、複製物交付契約の成否についての判断
1、原判決及び第一審判決は多摩市立図書館による「コピーサービス」の告知は申込の誘引に過ぎず、利用者の申込に対し館長が承諾を行っていないのであるから、複製物交付契約は成立していないと言う。しかしながら上告人は右のように解される場合でも、特段の事情がない限り、館長に承諾を拒絶する自由はないと主張している。{第一審原告準備書面(三)四五頁}これに対して原判決及び第一審判決は何の検討も行っていない。
また上告人は館長の告知と上告人の申込によって交叉申込が成立し、これによっても複製物交付契約が成立するのではないかと主張した。{第一審原告準備書面(二)第三一二〇頁}しかしこれに対する原判決及び第一審判決の言及は何もない。
右の二点に関する原判決及び第一審判決の沈黙は重要事項についての判断遺脱としか言い様がない。
2、
(一)原判決及び第一審判決は上告人の複写の申込は本件複製請求部分の半分でもよいという意思を含まないので、その範囲内でも交付契約は成立しないと言う。
しかしながら本件の争点は一個の著作物の成立範囲であり、その半分の複製に応じることは館長の告知から明らかである。そして館長は上告人の複製請求の全部が一個の著作物と認めているのであるから(甲第二号証)、その半分の複製物の交付について信義則上承諾を拒絶することができないのは明らかである。{第一審原告準備書面(一)第七二一〇四頁ないし一〇五頁第一審原告準備書面(二)第三一二〇頁}問題は上告人の申込の意思解釈にあるのではなく、館長の拒絶の正当性の有無にあることを原判決及び第一審判決は理解していない。
ここには判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
(二)また複製物交付契約が交叉申込によって成立していると解すれば、意思の合致のある部分は右半分の部分になることが明らかであるから、当該部分について交付契約が当然成立している。
なお上告人は一個の著作物全部の複製を請求しているのではない。(公共的著作物性を主張している場合は別問題)本件複製請求に係る部分は一個の著作物の一部ではないかと主張しているのである。また上告人は第一審において複製の申込の内容が可分性を有することを主張した。{第一審原告準備書面(二)第三一二一頁六行目ないし九行目}これが認められれば、上告人の請求が著作物の一部でもよいとは解されないとする原判決及び第一審判決の判断は正当性を失う。しかし原判決及び第一審判決は上告人の右主張を黙殺している。
したがって原判決及び第一審判決には重要事項についての判断遺脱があるとしか言い様がない。
三、国家賠償法に基づく請求についての判断
1、
(一)原判決及び第一審判決は、本件著作物において「2.8.地盤の安定問題」と題された項目が一個の著作物であり、上告人はその全部の複製を請求しているため違法であると言う。
しかし上告人は著作物の個数決定の基準について、著作者の主観的意思、著作物の客観的態様またはその両方のいずれかであると考え、最後の場合以外、本件請求は一個の著作物の一部の複製しか請求していないため、それは適法であると主張した。(第一審原告準備書面(一)第五三及び第六一九七頁ないし九九頁)
そしてまた著作者の意思と著作物の態様の双方を基準とすることは合理性がないことも主張した。{第一審原告準備書面(一)第六 四 一〇一頁}しかし原判決及び第一審判決は上告人のこの基準設定に対し何の検討も加えることなく、独断的に右項目が一個の著作物であると決め付けている。係る判断には理由不備の違法があるとしか言えない。
(二)また上告人は本件著作物全体が共同著作物であるということの他に、「2.土質力学・土構造」全体もそうではないかと主張している。{第一審原告準備書面(一)第五二九五頁}しかしこの主張について原判決及び第一審判決は何も述べていない。なお上告人は共同著作物の成立については監修権の強度が重要なメルクマールになることを主張しているが、原判決及び第一審判決はこれを不当に無視している。{第一審原告準備書面(一)第四三3六六頁ないし六九頁}これは重要事項に関する判断の遺脱である。
2、原判決及び第一審判決は本件著作物が公共的著作物であってもその全部の複製を請求できる理由にはならないという。しかし公共的著作物とは著作権が制限されるものであることが著作権法の解釈によって導かれるのであるから、右のような断定は不当極まりない。
また原判決及び第一審判決は著作権法第三一条の解釈論によってのみ公共的著作物性を論じているが、この概念は第二条第一項第一号の定義規定、第一三条から導かれる公準性、第三三条から導かれる教科書性等から帰結されるものであって、第三一条は全然関係ない。{第一審原告準備書面(一)第三一ないし三二七頁ないし四一頁}したがって原判決及び第一審判決の公共的著作物に関する立論は全く出たら目である。
これらは判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背と言うべきである。
3、
(一)原判決及び第一審判決は本件著作物は著作権法第三一条第一号の括弧書きに言う「定期刊行物」に該当しないという。しかし上告人はこの括弧書きを類推適用すべきだと主張しているのであるから、「定期刊行物」と本件著作物の類似性を検討すべきなのである。ところが原判決及び第一審判決はこの作業を何ら行っていない。
これは重要事項に関する判断遺脱と言うべきである。
(二)また原判決及び第一審判決は右の括弧書きを類推適用することに関し、著作物の複製を認めることは著作権の制限を伴うことになるから、解釈論として採用できず、立法論でしかないという。しかしながら第三一条が置かれている第二章第三節第五款はまさに「著作権の制限」に関する項目に他ならないのであるから、右のような言い草には何の根拠もない。このような款に掲げられた条文を解釈すれば著作権の制限という結果をもたらすことは当然のことである。上告人の主張は立法論どころか、法の明文に従っているだけである。
したがってここには判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
4、原判決及び第一審判決は上告人の複製物交付請求は著作権法第三一条第一号で認められた要件を欠くものであるから、これを拒絶した館長の行為には違法性がないと言う。
しかし右に示したように、上告人の請求が著作権法に適合しているかどうかについて、完全な検討は何もなされていないのであるから、係る結論を導くことは不可能である。また行為の違法性の問題は権限の存否とは別に考えなければならない。本件において館長は複製を全部拒絶しているわけだから、上告人が有している著作物の少なくとも一部について複製を求めることができる利益を確実に侵害している。そのため館長の拒絶行為の違法性は上告人の複製請求の適法性とは関係なく成立している。
また不法行為は法的利益の侵害によって成立するものであるから、館長が本件複製の権限を有するかどうか、また本件複製がサービスであるかどうかは、賠償責任の成否とは関係ない。
ただ上告人の請求が著作物の一部という限界を超えた場合に、その限度で著作権に対する侵害となり独自の違法性を持つに至るが、この違法性は被上告人に対するものではない。館長または被上告人は第三者である著作権者の利益侵害を正当防衛の見地から阻止できるが、それによって上告人の複製利益を侵害した違法性は阻却されない。
しかし原判決及び第一審判決はこのような論理の組み立てを全然行っていないのであるから、違法性の問題について基本的認識を全く欠いており、損害賠償請求を棄却する理由を掲げていないことになり、理由不備の違法がある。
第三、原判決の憲法違背
著作権法第三一条第一号が公共図書館の利用者に対して著作権の一部を制限して複製できることを認めているのは、図書館利用者の学問、思想の自由、及び情報入手権を確保させるためである。したがって原判決のように公共図書館における上告人の複製行為を全面的に否定するということは、その理由の如何を問わず、憲法第一九条、第二一条第一項及び第二三条に違背する。
第四、原判決の思考の問題性
原審が本件控訴を棄却した動機として考えられるのは上告人に司法救済を与える必要がないものと判断したためであろう。救済の必要性がないとしたのは、上告人が本件提訴の名を借りて館長の些細な職務上のミスを糾弾していると見做しているからだと思われる。しかしもしそうであるならばとんでもない誤解である。
法を離れて救済のことだけを考えるのは宗教家の職務であり、最初に救済の有無を判断し、その後で法的措置を考えるのは立法者たる政治家の仕事である。裁判所は既存の法を適用して紛争を解決することを第一義とし、その結論を適正妥当なものとするために、法の許容する範囲内で救済の程度を酌量するのである。したがってもし法律家たる裁判官が法の適用以前に当事者の救済の必要性を先行させて判断しているのであれば、法律家としての職務を完全に逸脱したことになる。
日本のように、国家が神のような権威を持っていて宗教的行為を行い、官僚が政治家の職務を代行しているところでは、国家の司法官僚の一員である裁判官が、法律家であるより前に、宗教家あるいは政治家のように振る舞いたくなるのも無理はない。しかしここは厳正なる裁判の場なのであるから、裁判官が本来の職責を全うするように心掛けてもらいたい。
本件について言えば、著作権法第三一条及び図書館法第三条という具体的法規が厳然として存在しているのであるから、上告人に対してどのような感情を抱いていようと、まずこれを厳格に適用することを考えてもらいたい。裁判官には上告人に対する反感または被上告人に対する連帯意識から、法の適用を任意に操作する自由など与えられていないのである。
また原審が上告人に救済の必要性なしと判断したのは、上告人に深刻な損害が発生していないと考えているものと推察される。しかしこれも大いなる誤りと言わなければならない。
深刻な損害とは生命、身体、財産及び名誉に対する回復できないまたは困難な侵害のことを言うので、本件上告人には係る損害が発生していないため、救済する必要はないというのであろう。しかし上告人は公共図書館における蔵書利用権を侵害されているのである。この利用権は人権の中心たる精神的自由権に深く関係する。精神的自由権は目に見えないため、その侵害が感得しにくく、被害が意識されることが希薄である。
しかしながらこの自由権は基本的人権の尊重を最高法規の理念とする我が国の現行法体系の中では、最も価値の高いものである。これは当然のことながら生命より上位の価値を持つ。極端に言えば、法の支配の理念に忠実である限り、一片の自由権のほうが百万人の生命より大事なのである。
このような命題が一般人の常識から掛け離れていることは理解できる。しかし上告人は法律家たる裁判官を相手に、訴訟という厳格な手続を通して、論理に基づいて主張しているのであるから、一般の常識など排除しなければならない。
したがって本件において、上告人に生活上困難をもたらすような侵害が生じてないといった非法律的な事実を考慮に入れず、法と論理によってのみ判決がなされなければならない。
また本件の係争利益が七頁の複製に過ぎない僅少なものというのはあくまでも偶然の事情なのである。状況によらては数百ページの複製を求めることもあり得る。逆に考えれば、たった七頁の複製すら自由にできないということはもっと重要な複製については恐らく何もできないことが推測される。これは精神的自由権にとって重大な脅威としか言い様がない。
具体例を挙げれば、もし国政をある特定の利益団体が壟断したとき、一般市民がその指導者の過去の言動を公共図書館で調査しようとする場合、図書館の管理者が政治的圧力に屈して利用者の情報入手権を恣意的に侵害したとしたら、政治的自由は忽ち死滅してしまうであろう。
裁判所は本件の偶然的事由に捕らわれず、その根底にある本質的な問題を直視して、歴史に残る意義のある判決を下してもらいたい。
第五、結論
右に述べたところにより、原判決には民事訴訟法第三九四条、第三九五条第一項第六号、第四二〇条第一項第九号に規定する瑕疵があるから、同法第四〇七条または第四〇八条により、上告の趣旨に記載したように、破棄差戻または破棄自判を求める。 以上